アーレントが指摘し、カフカが予見した現代人の恐るべき変容とは? ネットを介して人間はますます動物化する【仲正昌樹】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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アーレントが指摘し、カフカが予見した現代人の恐るべき変容とは? ネットを介して人間はますます動物化する【仲正昌樹】

カフカ没後100年 アーレントとカフカが語った「公/私」境界線の溶解

 

 こうした部屋をめぐる攻防とそれに伴う欲望の露呈という構図は、遺作となった三大長編『審判』『城』『失踪者』でより顕著となる――詳しくは拙著『哲学者カフカ入門講義』(作品社)を参照。『審判』の主人公である銀行員のヨーゼフ・Kの下宿に、ある日突然、二人(+監督)の男が訪ねてきて、「あなたは逮捕された」と宣言する。彼らは、下宿の隣人の部屋を通って、Kの部屋に入り込み、いろいろぶしつけな行為をするが、警察が逮捕する時のように彼に手錠をかけて、身柄を拘束するわけではなく、犯罪の容疑を告げるわけでもなく、取り調べらしいことをしようともせず、ただ彼のプライベートな空間を動き回り、不作法な真似をする。

 彼らが帰った後、Kは隣室のビュルストナー嬢が、自分のためにヘンな連中が部屋を荒らしたことを詫びに行く。そこで唐突に、Kは彼女を抱きしめ、激しくキスをする。まるで、侵入してきた監視人たちによって、彼にとっての公/私の壁が突き破られ、心の奥にあった欲望がもはや隠し切れなくなったように。監視人や監督は、単なる、権力の理不尽さ、恣意的な権力行使、権力の手先などを寓意する者たちではなく、彼にとっての公/私の壁に穴をあけ、公的人格と、動物的欲望の充満した身体の使い分けを不可能にする存在、何かの心的プロセスあるいは兆候を象徴する存在でもあるように見える。

 その後、彼は、どういう罪状により、どの裁判所の管轄か分からない訴訟=過程(Process)に巻き込まれ、物理法則に反しているとしか思えないいくつかの奇妙な“室内空間”に入り込み、そこで次々と隠された(性的なニュアンスを帯びた)欲望を露出させられる。

 貧しい人たちが住んでいる地区の汚らしい建物の屋根裏部屋の中にある、多くの人がたむろし、裁判の順番を待ったり、政治集会を行なったりしている「裁判所」。そこで、Kは、廷吏の妻に誘惑され、そのつもりになるが、その場にいた法学部生や判事に彼女を横取りされる。伯父と共に訪れた弁護士の事務所で、伯父と弁護士が話し込んでいる間に、弁護士の看護婦だという女性と、隣室で関係を持ち、何時間も過ごしてしまい、弁護士等の不興を買う。自分の勤めている銀行の廊下の片隅の暗がりの小部屋で、監視人たちが折檻されているのを見て、代わりに自分を打ってくれと叫ぶ。裁判所に強い影響を持つという法廷画家の部屋を訪ね、そこで画家と彼のモデルになっているらしい幼い少女たちのじゃれ合いに、たまらなく淫らなものを見たと感じる。

 『城』や『失踪者』でも、主人公は、公的な秩序と私的な淫らさが交差する奇妙な場に自ら侵入しようとしたり、逆に閉じ込められたりする中で、欲望を剥き出しにされ、アイデンティティを保つのが困難になる。自分が何を欲し、どこに向かっていこうとしているのか次第に分からなくなっていく。

 カフカの作品は、「人間の条件」である「公/私」の境界線を失って、自分の意志と関係なく、(ネットを介して)欲望がどんどん露呈されていく中で、動物的に変容し続ける現代人の在り方を予見しているように見える。私たちの日常に深く入り込んだSNSは、私たちの隠れた願望を吸い上げ、公的空間に拡散する。

 

文:仲正昌樹

KEYWORDS:

✳︎重版御礼✳︎

哲学者・仲正昌樹著

『人はなぜ「自由」から逃走するのか』(KKベストセラーズ)

 

「右と左が合流した世論が生み出され、それ以外の意見を非人間的なものとして排除しよ うとする風潮が生まれ、異論が言えなくなることこそが、
全体主義の前兆だ、と思う」(同書「はじめに」より)
ナチス ヒットラー 全体主義

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仲正 昌樹

なかまさ まさき

1963年、広島県生まれ。東京大学総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了(学術博士)。現在、金沢大学法学類教授。専門は、法哲学、政治思想史、ドイツ文学。古典を最も分かりやすく読み解くことで定評がある。また、近年は『Pure Nation』(あごうさとし構成・演出)でドラマトゥルクを担当し、自ら役者を演じるなど、現代思想の芸術への応用の試みにも関わっている。最近の主な著書に、『現代哲学の最前線』『悪と全体主義——ハンナ・アーレントから考える』(NHK出版新書)、『ヘーゲルを超えるヘーゲル』『ハイデガー哲学入門——『存在と時間』を読む』(講談社現代新書)、『現代思想の名著30』(ちくま新書)、『マルクス入門講義』『ドゥルーズ+ガタリ〈アンチ・オイディプス〉入門講義』『ハンナ・アーレント「人間の条件」入門講義』(作品社)、『思想家ドラッカーを読む——リベラルと保守のあいだで』(NTT出版)ほか多数。

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